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interview with Koji Nakamura

interview with Koji Nakamura

その後のスーパーカー

――中村弘二、インタヴュー

取材:野田 努 Jun 17,2011 UP
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 中村弘二はポップ・サウンドの作り手であることと、その管轄外のところで音を鳴らすことの両立をはかる数少ないひとりである。1997年にデビューして2005年に解散したスーパーカーは、その活動中は幅広く愛されたバンドだったが、とくにある世代――おそらく現在20代後半から30代前半にかけて――にとっては、自分たちの思春期においてもっとも影響力のあるバンドのひとつとして記憶されている。そういえば最近、今年に入ってわが国のチルウェイヴ系の作り手として密かに売れ続けているフォトディスコなる青年に会ったとき、彼のバッグにiLLのバッヂがあったことを僕は見逃さなかったが、いま思えば中村弘二のニャントラ名義の最初のアルバム『99-00』(2001年)は早すぎたチルウェイヴ(もしくはアンビエント・ポップ)とも言える。
 まあとにかく、若いながらもすでに長いキャリアを持つ中村弘二自らがスーパーカーの音を改編したアルバムが、『RE:SUPERCAR 1』と『RE:SUPERCAR 2』である。この新しい2枚においてはトラックのみがアップデートされている。歌を残したまま、まるで腕の良い職人の仕事のように、彼はちょちょいのちょいと古い楽曲の埃を払って新しい光沢を与えている。それは驚くほどにスーパーカーそのもので、不自然な感じがしない。クラフトワークの『ザ・ミックス』のように、それは本当に純粋にアップデートされたものとしてある。
 以下のインタヴューでは、中村弘二のもうひとつの重要な個性であろう音の追求者的なところ、いま現在の彼の興味のある"音"の話題に時間を割いている。それを読めば、むしろ彼の次のiLL、さもなければニャントラが楽しみになってくるだろう。

すでに自分のものではないというか、客観的に聴けるから。自分のものではあるんだけど、自分のものではないというね。だから、ホントに客観的になれているかという不安もあったんだけど、どっかで「いや、もう客観的になれている」という思いがあった。だからできたっていうのもあるんですけどね。

これは震災前に作ってものなの?

ナカコー:「1」はそうかな。でも「2」は被っちゃったところがあるから。中断があったからね。

震災によって「2」の内容は変わった?

ナカコー:いや、それはなかったけどね。影響はあるけど、作っているときはそれはなかったから。やることはもう決まってたし、とりあえず、「戻そう」って。とりあえずやってたときの気分に戻さないと作れないから。

リリースが延びたんだよね?

ナカコー:延びましたね。

僕は震災後に聴いたんだけど、けっこう感じるものがあったんですよ。たとえば「1」の1曲目の"ウォーク・スローリー"なんかけっこう感動したんだけど、あのイントロも見事なものだったけど、「あせたってひとりじゃどこにも逃げられないから」ととか、いま聴くと違った意味に聴こえるっていうかね。オリジナル・ヴァージョンではもっと皮肉で歌っているわけでしょ?

ナカコー:いや、そうでもないですよ。デビューしたばかりだし、そんな皮肉って感じでもなかった。まあ、自然にやること自体が皮肉めいてるから。

地震があって、原発のことがあって、いろいろ大変な状況になったわけだけど。

ナカコー:震災後、いろんあことがあるけど、なるべくできることだけをやっていくっていうスタンスを取りたかったし、取りたいですけどね。いまもできることだけやっていくっていう。

今回のプロジェクトはどういう経緯ではじまったんですか?

ナカコー:最初はレコード会社からそのアイデアが出て、「できるかどうかわからない」っていう状態がけっこうあって。「ほんとに、やるの? やらないの?」みたいな。

最初は抵抗があったの?

ナカコー:「別にやらなくてもいいんじゃない?」っていうのもあったし、気持ちの半分では「興味アリ」っていうか。

なるほど。

ナカコー:やったことないからね。やったことがないものには興味があるから「ちょっと面白そうだな」とは思っていた。でも、実際にやったときにどれだけ大変かはわからないから、正式にやるまでに時間がかかった。

作者としては過去の自分に、それもまあ、10代の自分に向き合うわけだから、複雑なものもあったでしょ?

ナカコー:それはもうなかった。すでに自分のものではないというか、すごく客観的に聴けるから。自分のものではあるんだけど、自分のものではないというね。だから、ホントに客観的になれているかという不安もあったんだけど、どっかで「いや、もう客観的になれている」という思いがあった。だからできたっていうのもあるんですけどね。

DJカルチャーでいうリミックスという解体をせずに、歌をしっかり残したでしょ。

ナカコー:10代の頃の作品なんかは、当時は何もわからないで作っていたし、いまわかることが当時はわからなかったし、それをいまの感じに直したいというのがあった。いま聴く人のために作ろうっていうことだったから。

曲を完全に違うものにするっていう考えはなかった?

ナカコー:それはまったくない。あんまり解体はせずに、新曲と向き合うような感じで、もっと良い曲にするために作業するって感じでしたね。

「1」と「2」を分けたのは?

ナカコー:いや、そこは前期と後期っていう、ただそれだけ。あと量的なこともありましたね。

『フューチュラマ』以前、以降という分け方になっているけど、その分岐点というのはあるんでしょ?

ナカコー:「1」はまだデビューする前に作った曲が多いんですよね。

そうなんだね。

ナカコー:「2」のほうはデビューしてから書いた曲だから。デビューしてから2年ぐらいは曲を書いてないんですよ。それで久しぶりに書いたら視点が違うものになっていた。自分ではそんな大きく変わったとは思っていないんだけど、ちょっと見方を変えたぐらいでしかないんだけど。

「1」に収録された曲を作ったのって何歳ぐらい?

ナカコー:17~18歳ぐらいですね。

"サンデー・ピープル"を入れなかったのは?

ナカコー:単純に作業的なことですね。かなりキチキチのなかでやってて、間に合わないっていうのがあって、ぱっと思いついて、「この曲ならこうできるかも」っていうのだけを選んでいるから。だから、やったらやれるけど、時間がかかる。

ハハハハ。そういうことなんだ。敢えて外しているのかと思った。

ナカコー:そういうのはない。とはいえ、どういうアルバムにするのかちょっと迷っていた。1曲目と最後だけは決まっていて、で、作業しいてくなかで、「1」のほうは鳥の声とか波の音とか、ライブラリー音源を入れはじめてからすーっと曲順が決まっていって。1曲終わってからはコツがつかめてきて。

音は当時の音も使っているでしょ?

ナカコー:ほとんど当時の音。当時の音を使ってミックスを変えた。弾き直したのもあるけど。

いろいろ思い出したことあるでしょ?

ナカコー:思い出したことはあるけど、それが何かまでは覚えていない(笑)。

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取材:野田 努(2011年6月17日)

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