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interview with Hiroshi Higo

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1981年の醒め方

――ヒゴヒロシ、インタヴュー

取材:野田 努 ゲスト:メタル Nov 21,2011 UP
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反体制が当たり前の時代でしたからね。僕は高校生のときにすでにバンドに夢中になって、集会も身近にあったんですけど積極的に行くようなタイプではなかったですね。ただ、そういう時代のエネルギーはもちろん感じていましたよ。


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そういえばフリクションが再発されたのって......、もう7年前ですか。ゼロ年代以降のこうした日本のポスト・パンクの再発に関してはどういう風に受け止めてますか?

ヒゴ:チャンス・オペレーションって92年までやってたんですよね。

やってたんですね。

ヒゴ:じつはやってたんです(笑)。91年にレイヴに衝撃受けて、日本に帰ってDJやってレイヴをオーガナイズしはじめた頃にはまだチャンス・オペレーションをやっているんですけど、しかし、半年後ぐらいには、もう自分のなかではDJやパーティのほうにどんどん興味がいってしまっているんですね(笑)。それでまあ自然消滅ってわけじゃないけど、チャンス・オペレーションはなくなっていくんです。バンド活動そのものは止めてはいないんですけど、とにかく90年代は、チャンス・オペレーションみたいな自分の過去の表現に対しては、それほど特別な感情もなかったのが正直なところなんです。止めてまだ時間も経ってないですからね。だけど、2000年過ぎてから聴いたときには、けっこう自分でも気づくことがあったんですね。

再発見があったということですね。それは?

ヒゴ:僕はミラーズの2年間だけドラムを叩いていたんだけど、もともとはベースなんですね。3/3のときもそうだったんですけど、チャンス・オペレーションになってまたベースに戻ったんですよね。ベーシストとしての自分が過去を振り返ったときに、いまの自分の原点がチャンス・オペレーションにはあるのかなと思ったんです。当時はそんなことまったく思ってなかったですけど、今回聴き込んで、自分で気がついたっていうかね。なんていうか発見があったんですね。

古くなってないと。

ヒゴ:古くなってないというよりも、音楽に向かう姿勢、バンドのスタンスみたいなものがこのときにできている......というか、できつつあった。チャンス・オペレーションはメンバーの入れ替わりの激しいバンドだったんですけど、自分のやりたいことがある程度わかっていたっていうか。

さっきも言ったように僕はチャンス・オペレーションが出てきた頃をよく覚えていて、『Doll』を読んでいるような高校生だったんで、ヒゴさんのインタヴューを読んでジョン・ケイジのチャンス・オペレーションを知ったくらいなんですよね(笑)。

ヒゴ:はははは。

今回のアルバムのジャケットに使われた写真もよく覚えているんです。当時のヒゴさんのコンセプトは何だったんですか?

ヒゴ:ミラーズ解散後はやっぱドラムでヴォーカルをやりたかったんですね。それでいろんな人たちとスタジオに入るんですが、どうにもしっくりこなかったんですね。

チャンス・オペレーションは、まず音楽的に3/3やミラーズとは違いますよね。ワンコードで、反復性が高く、感情を抑制して、ストイックな演奏しているじゃないですか。音の変化が確実にありました。

ヒゴ:基本的にはリズム楽器が好きなんですね。ドラムというのは野球でいうキャッチャーみたいなもので、後ろからみんなを見渡せるんですけど、動きに制約がある。ミラーズは自分でギターで曲を作って自分でドラム叩いて自分で歌っていたので、ドラムをステージの前面に出したこともありましたけど、演奏中に動くことはできないわけです。

それでベースに戻ったんですね?

ヒゴ:いまでもドラムは好きですけどね。でもそのときベースに戻った。ベースラインで曲を作って、そのままステージに立つことができるんですよ。

チャンス・オペレーションの結成は1980年で、最初のシングルが1981年ですが、ギャング・オブ・フォーやデルタ5といったUKのポスト・パンクからの影響はありましたか?

ヒゴ:直接的にはなかったですね。

カンやノイは?

ヒゴ:音は聴いていたけど、そこも直接的な影響はなかったですね。

とはいえ、共通性があると思うんですよ。コード展開がなく、ミニマルで、いわゆるアンチ・ドラマ、アンチ・ロマンで......アメリカにグリール・マーカスという有名な評論家がいますが、彼は当時ギャング・オブ・フォーやデルタ5を「圧倒的なまでの冷静さ、ロマンティシズムに酔いしれない醒めた姿勢」って評しているのですね。それた似たものをチャンス・オペレーションにも感じるんです。INUの『メシ食うな』にも、フリクションにもスターリンにも、そうしたアンチ・ロマンはあったと思うんですね。

ヒゴ:たしかにそうですね。

ああしたポスト・パンクのアンチ・ロマンな姿勢は、自分が中高生のとき、に夢中になっていた音、70年代末から80年代初頭にあった音だったという印象があるんですよね。

ヒゴ:そうですね。

あの反復性はまったく古くなっていないのはたしかで、むしろいま、そういうミニマリズムのほうがよりカジュアルになってきているじゃないですか。だからチャンス・オペレーションや『スキン・ディープ』は、いま聴いても説得力があるっていうか。ドラマチックな音楽って、たとえばJ-ROCKなんかがそうですけど、2つぐらいのヴァースがあって、サビがあってって、そうした曲作りとは対極の発想というか。

ヒゴ:やっているほうとしてはそこまで明確に意識的だったわけじゃないですけどね。

僕は当時すごくびっくりしたんですけどね。やっぱ時代の空気がああいう音を生んだってことですか?

ヒゴ:僕はそっちのほうが大きいと思いますよ。たとえば僕はミラーズの頃はレゲエばっか聴いているんですね。もちろん聴く音楽と演奏する音楽は違うんですが......僕はチャンス・オペレーションのときは、ベースのフレーズを反復して、そしてそれをもとに曲を作ったんですね。だからたしかにベースの反復がもとになっている。それから、必要のない音はどんどん削ぎ落としていくってことも意識してましたね。

ヒゴさんにとってのモチヴェーションってどこにあるんですか?

ヒゴ:ひとつのスタイルをずっと続けいくことは性に合わないんですよ。だから何か新しいことにトライすることっていうのかな。

音の追求心みたいなことですか?

ヒゴ:新鮮さばかりを追っているのもどうかと思うんですけど、どうしても新鮮なものに惹かれるんですね(笑)。自分のなかでなにかしらの新鮮さを見つけていかないとつまらないんです。でないと次にいけないし、同じ曲を繰り返し演奏することがなかなかできない。チャンス・オペレーションのときはそれが自覚的でしたね。同じ曲でも演奏のたびにどこか変えてみたりとかしてましたから。

ロックに対するアンチ・テーゼはありましたか?

ヒゴ:とくに初期の頃はジャズっぽいと言われましたけど、ジャズをやっていたわけではないし、自分としてはずっとロックをやっていたつもりだったんですけどね。だからロックに対するアンチでもないんです。ロックが基本で、でもジャズの好きなところは取り入れたいみたいなことはありましたね。

チャンス・オペレーションにもフリクションにも、スターリンやINUにも、大きな言葉でいうと、ニヒリズムがあったと思うんですね。無意味さ、虚無を生きるといいますか。どうなんでしょう? "LIMITER SHUFFLE"の歌詞には、「通り過ぎてそのまま 放り投げてグッバイ 揺れて飛びちる 底ナシの季節」という言葉が出てきますが、これなんかも当時の虚無感をよく表しているんじゃないでしょうか?

ヒゴ:はい(笑)。

歌詞はヒゴさんが書かれているんでしょ?

ヒゴ:そうですね。

ヒゴさんがどれほどのニヒリストだったか教えてください!

ヒゴ:いやいや、ニヒリストというかね(笑)、僕、もともと電車好きなんですね。電車から音楽にいったんです。鉄道オタクじゃないんですけど、小学校は下北のそばに住んでいて、身近な電車が井の頭線だったんですね。当時の古い車両はいろんな車種があるんです。そうしう車種が好きで、中学校になって中野に超して、そうすると通学で念願の電車通学ができて、小田急にも乗れるようになるんです。小田急もまた車種が多いんです。僕は鉄道車両の設計技師になりたかったほどなんです。そういう機械と科学がすごく好きでね、じつは曲の題材はそういうところから持ってくることが多いんです。

へー(笑)。電車好きですか! そんな少年がやがて日本のプレ・パンクの3/3でベースを弾くというのも面白い話ですね。ちなみに3/3はおいくつのときでしたか?

ヒゴ:22ですね。

○△□のことは知っていたんですか?

ヒゴ:高円寺にロック喫茶ができてね、何回か行ったことはあるんだけど、直接はまだ知り合えていなかった。3/3は僕の前に何回かベースが交代していて、僕がバンドで最後のベーシストになったわけですけど。

3/3は、たとえるならストゥージズへのリアクションみたいなサウンドで、早すぎた日本のパンクだったと思うんですけど、ヒゴさんのなかにもそうしたパンク的な感性はあったわけでしょう?

ヒゴ:それはもちろん。自分で考えて自分でやれってことですよね。3/3の頃から甘っちょろい感じにはなじめませんでしたね。

その「甘っちょろさ」って何ですか?

ヒゴ:なんかね、自分の人生がこうなったらいいなみたいな気持ちを歌することはできませんでしたね。

希望や夢は歌にできないってことですか(笑)?

ヒゴ:そうですね(笑)。

ヒゴさんは世代的には、学生運動が下火になった世代ですよね。

ヒゴ:僕よりも2つくらい前は大きかったですよね。当時、2年違うだけでもぜんぜん違ったんですけど。

みんなでデモや集会に行くような感じにはなじめなかったってことですか?

ヒゴ:というか反体制が当たり前の時代でしたからね。社会と自分がどう関わるのか、それを問われてすぐに答えることができるようでないとやっていけないような時代でした。僕は高校生のときにすでにバンドに夢中になって、集会も身近にあったんですけど自分はそこに積極的に行くようなタイプではなかったですね。そういう反体制の動きみたいなのが下火になりつつあったとはいえ、ただ、そういう時代のエネルギーはもちろん感じていましたよ。だから音楽は手段だと思ってました。どう生きていくかが重要で、あくまでも音楽はその手段であると。

ニュー・ミュージックに表象される夢や希望が嫌いだという話ですが、ではヒゴさんにとっての夢や希望とは何でしたか?

ヒゴ:混沌......、宇宙もそうじゃないですか。もとは混沌であって、僕はそのことを納得できるんです。最近ニュースで、宇宙の5%ぐらいがわかったという話を見たんですけど、「いや、それはそうでしょ」っていう(笑)。「宇宙なんか解明できるわけない」って。言ってみれば、混沌を生きるってことですね。

初期のレイヴはまさに混沌そのものでしたよね。ヒゴさんは、都合よく整理されたものが好きじゃないんですね?

ヒゴ:必要以上に整理されたものは好きじゃないですね。

デビュー曲が"カスパー・ハウザー・ナウ"ですが、"カスパー・ハウザー"を取り上げたのは?

ヒゴ:それはヘルツォークの『カスパー・ハウザーの謎』を観て。

素晴らしい映画ですよね。

ヒゴ:本当に素晴らしい映画ですね。あれです。あの、人間の親に普通に育てられなくても、それが幸せ不幸せじゃなくても、それでも人は生きていけるっていうのがね。

"TOUCH & GO"も音と同時に言葉も入ってくる曲ですが、この曲の主題は? 「くやしいことの始まり......何かを試せる......夜更けていくとき......きわどいことなど......するどいことなど」ということなど、暗示的な言葉だと思うのですが。

ヒゴ:すれすれの状態のことですね。

それは自分のこと? それとも社会のことですか?

ヒゴ:両方でしょうね。

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取材:野田 努(2011年11月21日)

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