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神聖かまってちゃん
Oct 07,2010 UP

神聖かまってちゃん

@渋谷AX
日時:2010年9月19日(日)

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 インターネットの普及も、ゼロ年代後半にはそのコミュニティのサークルの断片化が加速し、充足化を経たことで、薄っぺらい共感を我先に求める傾向が強まっている。何時、何処でも、さまざまな情報にコネクトできるがゆえ、目先の自由に翻弄されることも多くなり、人はその現実と理想とのギャップを何とか埋めようとする。その所業に一喜一憂しながら、以前には感じることがなかったであろう疲弊を覚えている。神聖かまってちゃんはそうした「空しい現代」の申し子のように登場した。

 今年の春に放送されたNHKの音楽番組で、神聖かまってちゃんの生演奏を観た。"ロックンロールは鳴り止まないっ"は、ドラマーであるみさこの「ワン! ツー! スリー! フォー!」という威勢のいいカウントではじまる。スティックを叩くときの彼女の笑顔は、実に晴れやかだった。の子が「ロックンロールは鳴り止まねえんだよっ」と吐き捨てる姿も、美しく思えた。の子は、最後に「俺はいまこそ輝いているのであって、俺の時代なのである。いまこそが!」「イッツ・マイ・ジェネレーション!」と吐き捨てた。大人たちからは病的に捉えられがちな彼らの音楽だが、ちゃんと聴けば彼らのそこには、この時代の歪んだコミュニケーション文化を自覚しながらも、そのなかを逞しく生きようとするポジティヴなパワーがみなぎっていることがわかる。

photo : Tetsuro Sato

 三連休の真っ直中、9月19日の日曜日、〈渋谷AX〉。アニメ・ソングのようなおかしなSEが流れはじめると、大歓声のなか、メンバーがステージに現れる。と同時に、ステージ後方には巨大ヴィジョンがゆっくり降りて来る。そこには〈ニコニコ動画〉のライヴ・ストリーミングを使用した公式生放送〈ニコニコ生放送〉の中継映像がそのまま映し出される。閲覧者たちによる「キターーーーーー!!!!!!」「始まったwwwwww」といった挨拶代わりのコメントから、「みさこ結婚してくれ」「あご(メンバーのmonoは顎が出ているから)」といったふざけたコメントまで、〈にちゃんねる〉的な煽りで埋め尽くされている。現場と電脳空間を巻き込んだ大規模な演出や、閲覧者のコメントに触発される形で、現場のオーディエンスはさらに歓声を大きくする。そう、この日のライヴは、現場の空気を共にするアーティストとオーディエンスの関係性だけによって成立するのではなく、PCの前に腰を下ろした〈ニコニコ生放送〉閲覧者も加わって、初めて成立するのだ。
 開演した時点で、すでにヴューワーの総数は8,000人近くまで上り(「8,000キタ!!」などのコメントが表示されるので、会場に居てもすぐにわかる)、現場にいる2,000人近くのオーディエンスを加えると、武道館クラスのキャパシティでこのライヴを共有していることになる。これには興奮せざるを得ない。しかしメンバーたちは、自分たちの姿とコメントが映ったヴィジョンを眺めながら、何だか他人事のように、グダグダと喋りながら戯けて楽しんでいる。この相変わらずともいえる人を食った態度は、〈にちゃんねる〉や〈ニコニコ生放送〉に慣れ親しんだ彼らの自然体なのだろう。
 
 そうした興奮に包まれたまま1曲目"夕方のピアノ"がはじまる。この曲は、の子が学生時代に受けた虐めが元ネタになっているとか、真相は定かではないが、「死ねよ佐藤/お前の為に/死ね/死ね」の叫びは、音源で聴くよりもよりいっそう痛々しい。しかもそのコーラスを、大勢のオーディエンスが力一杯に拳を掲げて「死ねー! 死ねー!」とシンガロングする。ヴィジョンには、「死ね」といった悪質なコメントの投稿は禁止されているので、代わりに「タヒね(「死ね」を崩したインターネット・スラング)、「SINE」といったコメントが嵐のように過ぎ去っていく。いったいどうして「死ね」と叫ばずにはいられなかったのか。どうしてこんなコミュニケーションが成り立ってしまうのか。いったい誰がここまで追いやったのか。自分もゼロ年代に翻弄されたユースのひとりである。自分は、の子とは同い歳だ。ネット社会のエクストリームな縮図ともいえるその空間に身を置いた自分は、その光景を観て涙をこらえ切れなかった。

photo : Tetsuro Sato

 その後も、"ベイビーレイニーデイリー""天使じゃ地上じゃ窒息死"といった目を覆いたくなるタイトルの曲が連発された。ライヴはすぐに中盤を迎え(曲間の喋りが長い)、いつの間にか〈ニコニコ生放送〉のヴューワー総数は15,000人に達している。の子は「こうやってロック史が刷新されていくのだと思います」といったようなMCをして、急に思い出したように「ディス・イズ・ヒストリー!」と叫ぶ。90年代を代表するワーキング・クラス・ヒーロー、オアシスの言葉をオマージュとして使うあたり、この状況に対して、やはりどこまでも自覚的なバンドだ。
 そしてその「ディス・イズ・ヒストリー!」のコール・アンド・レスポンスとともに、"ロックンロールは鳴り止まないっ"のイントロのピアノ・フレーズが聴こえる。このときは思わず鳥肌が立った。オーディエンスもこの日いちばんの雄叫びを上げ、ヴィジョンは「ネ申曲(神様級の曲という意味)」などといったコメントでいっぱいになる。この曲は、ビートルズもセックス・ピストルズもわからなかった少年が、ある日突然、音楽に胸を打たれる瞬間、そう、あの迸る初期衝動をただただピュアに表現した曲でもある。ディストーション・ノイズと目いっぱいに散らしながらギターをかき鳴らすの子の姿には、初めてギターを抱え、アンプのつまみをマックスまで捻り、憂鬱を振り払おうと轟音を鳴らそうとした少年時代の自分の姿がダブって見える。「遠くにいる君めがけて/吐き出すんだ」「遠くで/近くで/すぐ傍で叫んでやる」と、の子は叫ぶ。mixiやtwitterを弄ぶこの時代において、何ともリアルな叫びだ。

 その後は"学校に行きたくない"などを挟み、本編ラストには、サイケデリックなノイズ・ポップ"いかれたNeet"という、実に自虐的なタイトルの曲を披露した。穏やかな狂気じみたその曲調も相まって、ヴィジョンに映る「働いたら負けだと思っている」「今日も自宅警備が忙しい(働かないでずっと家に居ることの皮肉)」といったコメントに胸を締め付けられる。彼らはこうして今日の生き辛さを生々しく告白しているのである。
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 演奏終了後、興奮したの子は、自前のWEBカメラ付きノートPC(USTREAMもしていたらしい)を抱えたまま、客席にダイヴした。オーディエンスたちが、自分たちの心情を代弁してくれたの子に感激の意を込めて、フロアで手厚くもみくちゃにしていたのは、美しい光景だった。ただ、セキュリティの手によってステージに引き上げられたときに、いつも着ている割烹着のような衣装がめくれてしまい、勢いで自ら下半身局部を露出してしまったことで、〈ニコニコ生放送〉の中継がやむを得ず中断してしまったのは、「ディス・イズ・ヒストリー!」の終幕としてはあまり美ししいとは言えなかったが......。

 先日、クラクソンズは『サーフィン・ザ・ヴォイド(虚空をサーフしろ)』という素晴らしいタイトルを冠した新作をリリースした。そのタイトルが示す通り、空しい現状の自覚と、それを何とか打破しようとする彼らの力強い表現には勇気をもらった。そんな自分は、この日本で現代の空しさと真っ向に対峙し、フラストレーションをまき散らしつつ、戯けたようにサーフし続ける神聖かまってちゃんを追いかけずにはいられない。

加藤綾一

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