2014/08/25 (月)
■「大友良英のJAM JAM TV / 追悼:副島輝人」〜喧噪のJ 区 92番地ー裸の日本前衛JAZZ史を生き抜いた男〜 出演/演奏:大友良英、不破大輔、一楽儀光、水木康文(青土社)、沼田順(doubt music)、 吉田光利(地底レコード)
<TIME TABLE>
■「夢叶わず…」宇川直宏(DOMMUNE)
7月12日。副島輝人さんの訃報…副島さんには大友良英さんとの「JAMJAM TV/日本フリージャズ創成期」で2度に渡ってDOMMUNEに登壇頂いた。それら番組は、有り得ない程リアルで、そして含蓄に富んだ神回で、フリージャズの現場の実相を後世に伝えて行くための貴重なアーカイヴになっていると実感していました。どちらも震災前のことです。その後僕らはDOMMUNE FUKUSHIMA!を開局し、あらゆる束縛からの自由を主張するフリージャズを放置して、福島の現実と、被災地で起きている問題を番組で扱うことになりました。僕は、大友さんとは御会いする度に「早く副島さんゲストのJAM JAM TVの続編が復活できるような世の中に、変えて行かねばですね」と何度も言葉を交わしていました。夢叶わず… そして、副島さんというハイブローな歴史証言者を失った事は、日本にとって大きな損失だと感じています。ともあれ、DOMMUNEには動く副島さんの映像が4時間分あります。 8月25日の「大友良英のJAM JAM TV / 追悼:副島輝人」は、これらをアーカイヴから掘り起こして、日本中の皆さんと鑑賞しながら、副島さんとの想い出を振返り、氏の偉業を広く世に伝え広めるような追悼番組になれば…と強く思っています。 副島輝人さん。心からご冥福をお祈りいたします。
■「喧噪のJ 区 92番地ー裸の日本前衛JAZZ史を生き抜いた男」大友良英 今年の7月12日、83歳で亡くなられた副島輝人さんの追悼番組を、わたくし大友良英と、副島さんの大親友であったと言ってもいい渋さ知らずのリーダー不破大輔とでお送りします。 再配信部分は、2010年2回にわたって副島輝人さんとともに「日本フリージャズ創成期」と題しいて放送した大友良英のJAMJAM TV2回合計4時間分を。生放送部分は、史上初になるわたしと不破大輔のトークおよび生演奏で構成します。 前衛ジャズ評論家でありオーガナイザー、プロデューサーの副島輝人さんと、初めてお会いしたのは1978年、わたしが高校生だったころ。福島のジャズ喫茶「パスタン」でのメールスジャズフェスの8mm映画上映会と報告会の席でした。 より親しくなったのは1984年の高柳昌行・副島輝人の北海道ツアーに運転手兼アシスタントとして同行したときで、以来言葉では表せないくらいお世話になりつづけました。 「日本フリージャズ史」「世界フリージャズ記」の二冊は、生前、過去のことを文章に残すよりは今起こってることが面白いんだと言っていた副島さんが、それでもあえて残した渾身の本。 特に「日本フリージャズ史」はその執筆の過程で、自分のことだけではなく高柳さんのことでも沢山取材を受けた思いで深い本。「大友くんが黙っているのはいいけど、事実は事実なんだから」と、当時高柳さんのことについてはほとんど公言してこなかった私の口から様々な話を聞き出してくれました。 実際にはその多くの部分は副島さんもご存知のことだっかもしれないが、私の口から聞きたかったこともあったのだと思います。わたしとの関係については大部分は本に書かれることはなかったけど、それでも高柳さんの項目の音楽的な部分では、わたしから聞き出したこともふんだんに書かれています。長い副島さんとのおつきあいの中でも最も濃厚な会話がかわされたのはこの時だったと思う。 副島さんとの会話は、公に出来ない話も含め本当に面白かったけど、DOMMUNEでやった副島輝人さんとのJAMJAM TV2回分は、そんな空気がそのまま出ている番組で、わたしと高柳さんとのエピソードむ含め実際かなりオフレコ的な証言もありました。 60年代から70年代までの初期日本のフリージャズについての貴重な証言になっていて、そのまま本したいくらいの内容です。 どうか副島さんの貴重な証言や映像と、わたしと不破大輔の対談およびDUO演奏、お見逃しなく。 |
|||
■ WEB上での「DOMMUNE」番組視聴については、予約なしでご覧いただけます。 |
|||
|
|||