DOMMUNE LIVESTREAMING INFORMATION & RESERVATION!

DOMMUNE PROGRAM INFORMATION!

2019/05/27 (月)

■19:00~24:00 遠藤ミチロウ緊急追悼番組「THE END 0」
R.I.P. MICHIRO ENDO 1950.11.15 - 2019.4.25 10時間SPECIAL!!!!!!!

■5/27月【第二夜:THE END 0】(会場:APIA40)司会:五所純子
●19:00 - 19:20 <第五部>「PROLOGUE|遠藤ミチロウに捧げる友川カズキLIVE」(20分)
LIVE:友川カズキ
●19:20 - 20:00 <第六部>「1993 - XXXX|遠藤ミチロウとアコースティック・ソロ」(40分)
高橋和也、タテタカコ、伊東玲育
●20:00 - 20:30 <第七部>「1993 - XXXX|増殖する遠藤ミチロウ」(30分)
(TOUCH-ME、M.J.Q、NOTALIN’S、羊歯明神、THE END)
山本久土、西村雄介、伊藤多喜雄
●20:30 - 21:30 <第八部>「2011 - XXXX|遠藤ミチロウと福島」(60分)
大友良英、和合亮一、宮藤官九郎、森彰一郎、山岸清之進
●21:30 - 22:20 <第九部>「2015 - 2019|遠藤ミチロウと映画、そして死」(50分)
伊東玲育、田中誠一、大友良英、宇川直宏、森彰一郎
●22:20 - 24:00 追悼LIVE「THE END 0 COVERS 2」
LIVE:高橋和也(10分)
LIVE:浜田真理子(15分)
LIVE:古川日出男&浜田真理子 (15分)
LIVE:伊藤多喜雄(15分)
LIVE:タテタカコ(15分)
LIVE:山本久土(15分)
LIVE:大友良英(15分)
<5/27 DAY2 会場>「LIVE HOUSE APIA 40」 〒152-0003 東京都目黒区碑文谷5丁目6−9 TEL: 03-3715-4010 http://www.apia-net.com/
【予約はこちらからお願いします!】
■ 前売・当日券ともに3,000円+1ドリンク代
■「LIVE HOUSE APIA 40」予約フォーム▶︎ http://www.apia-net.com/contact.html
Photo by YUICHI JIBIKI ■「THE END 0」血が通い、脈打つ言葉達。 追悼文にかえて… 宇川直宏(DOMMUNE)

2019年5月1日。「平成」から「令和」に移り変わった途端に「昭和」から反響し続けるジャパニーズパンクの象徴、遠藤ミチロウ氏の訃報が列島を駆け巡った…改元にこれといった興味は無かったが、故人の遺志なのか、68年の生涯を閉じたミチロウ氏の最期のパフォーミングアーツによって、2019年5月1日は、永遠に忘れ得ぬ日となった。列島全域のパンクス達にとってこの日は、天皇の生前退位とはうらはらに、母国パンクアイコンの崩御という大きな歴史の節目を体感するに至ったのだ。
遠藤ミチロウとは、そしてTHE STALINとは一体何だったのか? それは "等身大のスペクタクル” だったのではないか?それは "ゴミ柄の迷彩を纏った秘宝” だったのではないか?まだ童貞だった13歳の頃に心鷲掴みにされたTHE STALIN「trash」は、臓物に塗れたボーカリストが拡声器を持って全裸で暴れ、解剖室からバラバラになって早く出ろ!!!!! と聞くものを恫喝するドス黒い回転盤だった!!!!!!!! 中学生にとってのそれはエロ本よりも淫靡で、スプラッタームービーよりもグロテスクで、スリリングな暴走の忘我的恍惚よりも、ニコチンやアルコールやトルエンの陶酔的快楽よりも、何よりも歪で、何よりも習慣性が高く、何よりも幻想的で、そして何よりも危険だった!!!!!!!!! 狂っているのか?狂っていないのか?腐っているのか?腐っていないのか?死んでいるのか?死んでいないのか?THE STALINは、見世物(フィクション)をいいことに、そのギリギリの境界線を逸脱してみせ、鬱積した愛憎を公衆の面前で破裂させていた!!!!!!! パンクとはこの腐った日常に居座る秩序の下で抑圧されたノイズ達の反乱であり、そして解放であると「trash」を聞いて当時の自分は確信した….。そう、PUNKは、ゴミの反乱であり、ゴミの解放だ!!!!!!!! と、ミチロウ氏は教えてくれたのだ。
音楽ジャーナリストのジョン・サベージは、戦後のあらゆる若者文化を安全ピンでまとめたブリコラージュがパンクであると称したが、そのとおり...ノイズ(ゴミ)を拾い集めて人間の形にコラージュするとパンク(役立たず)になるだろう。吐き気がするほど、ロマンチックだぜ!!!!!!! 顧みると、70年代のロックスター的偶像崇拝を叩き壊したのは、役に立たない生身の貧しさであった。そう、ミチロウ氏は、いつも弱者の視点から曲を書いた。おまえらの貧しさに乾杯!!!!!! メシ食わせろ!!!!!! ミチロウ氏はこのゴミ溜めの世界に身を投じ、大腸菌まみれの雑音を吸い込み続けた….そしてリリカルな詩情を発酵させ、このことを証明したのだ。そう、ミチロウ氏は詩人でもあった。
ポップカルチャーを嘲笑い、そしてスキャンダラスに挑発し、痛みや憎悪や戦慄をメディアを利用して快楽に変換するミチロウ氏のパフォーマンスは、正しくマルコム・マクラレン的であったが、実はその内面は繊細で、そこにはパティ・スミスとジャックスが同居した深遠な詩的情緒が通奏低音として漂っていた。ミチロウ氏の詩には、ヒリヒリとした厳しい寒さの中にも、どこか東北の雄大な自然を彷彿とさせる敬虔さがあり、霧のかかった秘部を優しく炙り出すような高度で抒情的な詩世界がいつもそこに広がっていた。だからこそ、その活動をアコースティック・ソロの形態に脱皮させても、遠藤ミチロウらしさは消え失せず、いや、寧ろ全てを脱ぎ捨て裸になった言葉達は、より純粋で深遠な姿をさらけ出すこととなった。そう、2度目の公然への露出は血流によって膨張した性器ではなく、血の通った脈打つ言葉達だったのだ!!!!!!!
そして2011年3月11日。三陸沖を震源とする東北地方太平洋沖地震、即ち、東日本大震災が発生した。「それは戦争が始まった日です。」ミチロウ氏はそう言い放った。「世界で唯一の被爆国である日本が、こともあろうに今度は自ら自分自身に原爆を落としたのです。そしてこれは終わりの見えない絶望的な戦争の始まりです。収束のつかない"FUKUSHIMA" は、人間の未来に対する戦宣布告になってしまいました。」そしてミチロウ氏は故郷福島を想い、大友良英氏、和合亮一氏と共に「プロジェクトFUKUSHIMA!」を立ち上げた。長い歴史の中で育んできた生活、大地、文化が根こそぎ奪われてしまった絶望的な"FUKUSHIMA"の未来に、希望の光を見い出し、ポジティヴな言葉に変えていく….。意味の変化を引き起こすのが、抒情詩の常套手段であるが「STOPJAP」の意味が完全に歪んでしまった現実、そこに差した一縷の希望。そんな強い志に、自分自身も賛同し、森彰一郎氏(支局長)と共に立ち上げたのがサテライトスタジオ「DOMMUNE FUKUSHIMA! 」である。この時期から我々は遠藤ミチロウ氏、そしてプロジェクトFUKUSHIMA!と活動を共にし、現在に至っている。その後、"原発事故が生んだメルトダウンミュージック"と自虐しつつ、ミチロウ氏は活動の軸足を故郷福島においた。福島を諦めない….放射能という見えない敵との戦いに、みずから”内戦”と称して挑み続けた遠藤ミチロウ氏は、2019年4月25日。その68年の輝かしき生涯に幕を下ろした。そして「大化」から数えて248番目の改元の日にそのニュースはメディアを駆け巡った。その衝撃から、3週間….この度、我々DOMMUNEとDOMMUNE FUKUSHIMA! は、遠藤ミチロウ氏の在りし日を偲び、軌跡を辿り、氏の生前の功績を讃えるべく、 5月22日と5月27日の二夜に渡り全編10時間にも及ぶ遠藤ミチロウ緊急追悼番組「THE END 0」を配信する!!!!!!!! 5月22日第一夜は渋谷DOMMUNEスタジオから、5月27日第二夜は、ミチロウ氏のマネージメント拠点でもあった目黒APIA40から、所縁の超豪華ゲストを迎えて、数々の貴重音源/貴重映像、そして追悼ライヴと共にお送りする!!!!!!!! そういえば遠藤ミチロウ氏の楽曲には、その黎明期から終わりを示唆する詩が少なくない。「解剖室」も手っ取り早く終わらしてしまう歌であるし、「水銀」は最後の一枚の皮膚を剥がしてそのまま沈んでいく歌である。そして「虫」は骨までひからびて死んだ歌であるし、「アザラシ」はねじれてそのまま助けを呼べずに終わる歌だし、更に「バイバイニーチェ」は、大好きだからもっと遊ぼうといいながらお別れの挨拶をする歌だ….そして氏が生前カバーした楽曲達である「天国の扉」も「カノン」も「仰げば尊し」も終わりについての歌ではないか….。そう、我々はこの緊急追悼番組「THE END 0」を通じて、遠藤ミチロウ氏に"終わりについての歌"を捧げようとしているのかもしれない。

今こそ、別れめ、いざさらば…..
だけど、大好きだから、もっと遊ぼう。

宇川直宏(DOMMUNE)
Photo by YUICHI JIBIKI ■「遠藤ミチロウ氏のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申しあげます。」 森 彰一郎(ex.DOMMUNE FUKUSHIMA!)

遠藤ミチロウ氏とは、2011年の東日本大震災をきっかけに結成されましたプロジェクトFUKUSHIMA!の活動を共にさせていただきました。2011年8月15日に開催されたフェスティバルFUKUSHIMA!をはじめ、翌年の地元LIVEツアー、プロジェクトのみんなで作った盆踊りの音頭、地元のコミュニティFM番組、そして何度もご出演いただいたDOMMUNE FUKUSHIMA!の配信、すべて私にとっては、かけがえのない時間です。
そんなご縁もあり、この度、宇川直宏氏にお声がけいただき、本プログラムの共同主催を務めさせていただきました。企画を進める中、遠藤ミチロウ氏の訃報を伝えるメディア、そしてインターネット上に書き込まれた数えきれない追悼の言葉を目にし、遠藤ミチロウ氏の残された物の大きさを改めて実感しました。
様々なジャンルの多くの方々に影響を与え続けた遠藤ミチロウ氏の功績を、限られた時間の中でひとりでも多くの方に伝えるべく宇川直宏氏とプログラムを考えました。いたらぬ点が多々あるかと思いますが、何卒おゆるし願います。
最後になりましたが、今回の追悼プログラムの企画に際し、ご監修いただきました遠藤ミチロウオフィスの伊東玲育氏、いぬん堂の石戸圭一氏、そしてお忙しい中お集まりいただきました出演者、ご関係者の皆さまへ、この場をお借りして改めてお礼申し上げます。
ミチロウさん、たくさんの思い出をありがとうございました。
どうぞ安らかにお眠りください。

森 彰一郎(ex.DOMMUNE FUKUSHIMA!)
■遠藤ミチロウ 1950年11月15日、福島県二本松市に生まれる。福島高校、山形大学卒業後、ベトナムや東南アジアを放浪。帰国後、東京でバンド活動を開始し、1980年にザ・スターリンを結成。フロアに豚の臓物や爆竹を投げ込んだり、全裸で放尿する挑発的なライヴで注目を集め、1982年にアルバム『STOP JAP』、シングル「ロマンチスト」でメジャー・デビュー。2ndアルバム『虫』を1983年に発表。日本の音楽シーンにパンク・ロックを確立する。1985年、バンド解散と同時にソロ活動を本格化させ、並行してパラノイア・スター、ビデオ・スターリンとしての活動を行う。1989年、新生スターリンを結成。西ベルリンやポーランドのフェスにも出演する。1993年解散後、 “お百度参りツアー”と称して全国のライヴハウスをギター一本で廻り始め、多いときには年間200本のライヴを行う。2001年、中村達也(ds)とのユニット、TOUCH-MEの結成を皮切りに、バンドやユニット、ソロと、様々な形態で音楽活動を展開。2011年、東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故を受け、「PROJECT FUKUSHIMA!」を発足。同年8月15日には大友良英、坂本龍一らと「8.15世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!」の名で復興支援イベントを開催する。2018年11月15日、68歳の誕生日に膵臓がんであることを公表、2019年4月25日、都内の病院で逝去。過激なステージ・パフォーマンスとは裏腹に知的で温厚な人柄、福島の復興のために奔走する姿はジャンルを超えて多くの人々の共感と支持を集めた。ソロ作品に『ベトナム伝説』(1984年)、『THE END』(1985年)、映像作品に、自身で監督・主演を務めたロード・ドキュメンタリー『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』(2017年)、震災後に結成した民謡パンクバンド「羊歯明神(しだみょうじん)」の活動を中心に捉えた『SHIDAMYOJIN』(2018年)等がある。
遠藤ミチロウofficial
LIVE HOUSE APIA 40 official
いぬん堂 official
DOMMUNE official
 

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