2020/05/12 TUE19:0021:00

実写版『令和怪奇画報』(妖怪編 I )
疫病退散!! コロナ禍の脅威にさらされた現実をも凌駕する妖怪と少女達の遭遇!!
昭和から令和へと受け継がれた怪奇画報の念波!!!!!!!

出演:北原功士(怪奇画家)、田野辺尚人(映画秘宝編集者)、宇川直宏("現在美術家")

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■『令和怪奇画報 妖怪編』怪奇と日常は布一重のところにある

1933年。ボロボロに破れたドレス姿のアン・ダロウの目の前に髑髏島の主が巨体を見せたとき。
1960年。アリゾナ州の寂れたモーテルのシャワールームでマリオン・クレインが包丁を構えたベイツ夫人に襲われたとき。
1975年。金髪のクリッシー・ワトキンスが遊泳中に凶悪な人喰い鮫に片足を食いちぎられた、まさにそのとき。
凄まじい恐怖に襲われたとき、彼女たちは皆素裸だった(元祖“悲鳴の女王”アン・ダロウことフェイ・レイはその時代に許されたぎりぎりの布切れを身にまとっていたが)。信じがたい恐怖が女優のむきだしの皮膚を通して、映画を観る私たちに伝わってくる。恐怖を盛り上げるために文字通り一肌脱いでくれたおかげで、映画はセクシャルな魅力を凌ぐ恐ろしさを裸女の悲鳴と共に描き出した。人間は裸の状態で恐ろしい状況に対面したとき無力となる(一人で髪の毛をシャンプーしていると何かが背をそっと撫でた……そんな怪談が令和の時代にも生き続きているのが、その証左だ)。毛むくじゃらの巨大な手、狂人の振るう刃、鮫の牙が素肌に触れた瞬間、観客は老若男女の差なく、凄まじい無力感に満ちた恐れを体験する。「ああ、これでもう終わりだ! 助かる術はない!」映画に限らず、古今東西の恐ろしい絵画においても不条理な死や信じがたい暴力、そして人智を超えた存在に対面した虫けらのような人間は裸体で描かれた。そうすることで一枚の絵は私たちに圧倒的な恐怖を伝える。こと女性の裸身は単なるポルノグラフィを越えて、もっと原初的な恐怖の感覚を入れるスイッチとして機能する。
北原功士が描く少女たちが妖怪と一瞬の遭遇をする瞬間、時として過剰に肌が露出している。たとえ勇ましく化け物に蹴りを入れていても、彼女たちの感情は圧倒的な恐怖に支配されている。露わになった太股は単なるサービスとしてのお色気と異なる恐怖に包まれた瞬間を表現している。まだ若く、健康的な肌に戦慄がみなぎっている。こうした間接的なエロスが潜んだ怪奇絵は昭和時代の少年誌のグラビアで一世を風靡し、多くの子供たちの恐怖に対する妄想を育んだ。恐ろしい出来事とエロスは文字通り布一枚の差ですぐそこにある! この効果を巧みに自作に取り込んだ石原豪人を筆頭とした絵師たち(そして画報の構成にずば抜けたセンスを見せた大伴昌司のような仕掛人たち)の素晴らしい仕事の数々は、皮肉なことに昭和の終わりには健康的な少女アイドルの水着写真に取って変わられてしまうのだが。
 かくして怪奇を絵にする仕事は主戦場を漫画に移した。1980年代(昭和時代後期)に狂い咲いたホラー専門の少女コミック誌で繰り広げられた残酷描写への再評価が始まった令和の始まりに、敢えて女子高生と妖怪の一瞬の遭遇を描く北原功士の挑戦は、かつて隆盛を誇った政治的に妖しいイラストレーションへの回帰が色濃い。同時にグラフィック機能を駆使したCGでは描けない力の入った肉筆による不気味な表現を蘇らせる作業となっている。女子高生たちの目の前に出現した妖怪は厭な匂いが纏わりつくように着色されている。まさに怪異が立ちあがったその瞬間が一枚の絵に固定されたのだ。
怪奇漫画では絵の連続が恐怖するものの動きを映画のように見せるが、あたかも心霊写真のように“妖怪が出現するその瞬間”を捉えた絵を集めた本画集は、昭和から令和への時代の推移から排除された妖しい瞬間の集積だ。そこにノスタルジーはない。かつて、日本の何処かで、この信じられないような妖怪と少女達の遭遇は確かに起こった! そんな妄想にも似た強い意志がみなぎっている。スマートフォン一つで幾らでも怪しいビジュアルをでっち上げることのできる現在、筆の力でもって妖怪を見てしまった少女たちの悲鳴を蘇らせる。その息を呑むような悲鳴を耳にした者に幸せな呪いあれ。
田野辺尚人(編集者)

■怪奇画報について

1972年、6歳の頃、東京郊外の東久留米市にある、数少ない書店のひとつである、山本書店にうず高く平積みにされていた立風書房ジャガーバックスの「日本妖怪図鑑」が僕の怪奇児童書との出会いでした。まずはイラストや図版に目を奪われ、それらに寄り添うように並んだ、一見退屈そうな活字も、読んでみれば不気味で怖ろしい世界へ誘ってくれる文章で、漫画本や動物図鑑などから得られるのとは違った高揚感と、現実世界から妖しく危険な闇を覗き見しているような感覚に陥りました。
単行本の形式の怪奇児童書、雑誌の口絵による怪奇画報共に、活躍なされていた代表的な画家は、石原豪人、柳柊二、南村喬之などが有名で、中でも石原豪人は突出した魅力ある絵を描き、知名度も高いです。怪奇画報といえば、石原豪人。多くの方々がそう言います。僕も大いに影響を受け、画業における目標として生きてきましたが、石原豪人という画家を評価するだけでは、怪奇画報が過去のものであると認識する事に他ならないと思うようになりました。彼に代わる次の世代の怪奇画家がいなければ怪奇画報は昭和という固定された時代にあった文化とされてしまいます。多くの画家たちも、出版社もやらないなら僕がやろうと決意しました。作画、文章、編集、出版すべてを自分でやればいいのだと。  
昭和の怪奇児童書、怪奇画報を令和という新たな年号に変わった今年に復活させようという僕の試みでは、かつて少年を対象にされたものをある程度、成人を意識していこうとも思っています。独学ゆえ画力もセンスも過去の画家たちには及ばないかも知れませんが、何年か何十年か費やしても、いつか彼らを超えるか、少なくとも現在でも怪奇画報の画家が存在するという事実を構築したいと思います。それには、皆さんのご協力も必要になります。皆さんと共に現代の怪奇児童書、令和怪奇画報を実現していくのが僕の夢であり課題です。
そして、このたび出版したばかりの『令和怪奇画報』(妖怪編 I )がDOMMUNEで番組化されます。この書籍に込めた怪奇画報の念波をDOMMUNEの宇川さんと、映画秘宝の田野辺さんが引き降ろして、列島全域に拡散してくれるようです。お楽しみに!
北原功士(怪奇画家)

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『映画秘宝』双葉社