2020/11/04 WED 19:00-21:00

実写版「ジャニ研! Twenty-Twenty」〜日本戦後史と「ジャニーズ・ワールド」

出演:大谷能生、矢野利裕

■激動の世界情勢をモロに反映してか、ジャニーズ事務所は今年も大きな動きが立て続けに起こっている。

前日、11/3は嵐の休止前ラスト・コンサートである。まさかそれが「新国立競技場からの無観客配信」になるとは……故・ジャニー喜多川も予想出来なかった事態に違いない。彼の一周忌にリリースされた増補改訂版『ジャニ研!Twenty-Twenty』(原書房)の著者二人が(速水健朗は残念ながらラジオ・レギュラーが被っており欠席)、おそらくDOMMUNE界隈では馴染みが薄いであろうジャニの基本から最新情報までを駆け足で駆け抜ける!! アコースティックリバイヴ&ファンクションワンのピュア融合が生み出す都内屈指の最高音質を誇るDOMMUNEサウンドシステムでジャニーズ音源を堪能せよ!!

■「ジャニ研! Twenty-Twenty」まえがき

2019年7月9日、ジャニーズ事務所社長の喜多川擴(ひろむ)が逝去しました。多くのトップアイドルグループを生み出し、「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」「最も多くのNo.1シングルをプロデュースした人物」としてギネスにも認定された、戦後芸能界の大立者、享年87。平成の終わりとともに、ジャニーさんは日本のエンタテインメントの舞台から去って行きました。
本書は、「ジャニーズ」の研究本です。本書の第一版である『ジャニ研! ジャニーズ文化論』は、ジャニーズ事務所創業から50年という節目の年である2012年に出版されました。その時点での最新のデビューグループはSexy ZoneとABC‐Z。それから現在、つまり2020年の初夏までのあいだに、本当にたくさんの出来事がジャニーズ事務所とその所属タレントに起こりました。詳しくは本章および年表でそれぞれ触れてゆきますが、激動とも言えるここ数年の動きを受け、われわれが本格的に増補改訂版の作業に乗り出したところで、ジャニーさんが亡くなられた、というわけです。
  ジャニーズ事務所という、日本芸能史において類例を見ないプロダクションを生み出し、成長させ、成功させた「ジャニー喜多川」という人物について、第一版でわれわれは独自の視点から考察をおこないました。
例えば、第5章『ジャニーズとミュージカル』において集中的に語られている「ジャニーさんのセンス」の由来とその解析は、これまでの類書にはない画期的なものだと自負しています。ジャニーさんが死去された現在から見ても、そこで提起されているテーマはますます重要性を高めている。第一版の時点では明らかではなかった情報も含めて、ジャニー喜多川という人物の履歴について、まずここで簡単に触れておきたいと思います。

■ジャニーさんの履歴

ジャニー喜多川、本名喜多川擴は、1931年にアメリカのロサンゼルスで、日本人の両親の元に生まれました。父親の喜多川諦道(たいどう)は高野山真言宗の僧侶で、アメリカ別院の三代目主監を務めていたそうです。兄(真一)と姉(泰子)との三人兄弟。2歳の時に日本に渡航し、大戦中は和歌山に疎開。和歌山大空襲の被害も受けました。終戦後、再びロサンゼルスに戻ってハイスクールに通い、笠置シヅ子や美空ひばりがロス公演をおこなった際には通訳などで手伝いました。その後、朝鮮戦争に際して徴兵され、1952年に日本を訪れたのち、半島に渡り、除隊後はアメリカ大使館軍事顧問団に勤務して、代々木のワシントンハイツに居住することになります。
いま、筆者は「日本を訪れ」と書きました。「帰国」ではありません。実際、ジャニーさんの兄は米国に留まり、アメリカ人科学者としてNASAに勤務するという道を選んでいます。ジャニーさんの「ジャニー」は彼のミドルネームである「John」から来ており、つまり、ジャニー喜多川は「John H.Kitagawa」という、アメリカから日本にやってきた「日系二世のアメリカ人」なのです─われわれジャニ研は、この視点から「ジャニーズ」を「アメリカから日本に輸出されたエンタテインメント文化」として戦後史に位置づけ、その意味するものを総合的に捉え直すことを試みました。
ジャニーさんが日本に来た1952年は、敗戦後、アメリカを中心とした連合国軍の占領下にあった日本が主権を回復した年です。マッカーサー元帥のアメリカ帰国と入れ替わるかたちで、ジャニーさんが日本にやってきたことは象徴的です。マッカーサーは、戦後の日本で占領政策を布き、財閥を解体し、農地を解放し、おしつけの憲法と民主主義とチョコレートを配り、実質的な再軍備である警察予備隊を生み出します。その後を継いだジャニーさんは、高度成長期からバブルを経て21世紀まで続くこの長く安定した日本社会の中で、顔の可愛い男の子たちのグループを次々と生み出し、ステージ上で彼らに反戦のドラマと「ショー・マスト・ゴー・オン」の思想を演じさせ、先輩後輩抜きに「くん」で呼び合う、平等かつ芸能至上主義的な「ジャニーズ帝国」を作り出しました。
ジャニーズ事務所による少年たちの王国は、日本の戦後民主主義の下において、日系二世のアメリカ人が実現させた夢の世界である。これが2012年の第一版『ジャニ研!』段階におけるわれわれの見立てでした。
ジャニーさんが逝去された現在でも、基本的にこの視座は変わっていません。しかし、この約10年のあいだに起こり、また現在も起こり続けている、まさに歴史的とも言える「戦後民主主義社会」の変化の動きの中で、ジャニーさん亡き後の「ジャニーズ」も、また変わらざるを得なくなるでしょう。

■2020年の視座

今回、改訂と増補をおこなって新しくまとめた『ジャニ研! Twenty-Twenty』(略称「トニトニ版」)は、第一版の章立てと内容を踏襲しながら、2013年から2020年までに起こったジャニーズ事務所の出来事をフォローする鼎談を収録し、適当と思われる部分に随時原稿を加えることで作られました。第一版のさらに元になっているのは2011〜2012年のあいだにわれわれがおこなっていたイベントの内容で、3人のやり取りの中にその当時話題になっていたトピックが表れているところもあります。
第1章は「ジャニーズとデビュー」。歴代グループのデビューシングルと当時のエピソードを辿りながら、各グループの個性や音楽性を分析していきます。「トニトニ版」であらたに加わったグループは、ジャニーズWEST、King & Prince、SixTONES、Snow Manの四組です。70年代後半の、いわゆる「冬の時代」にデビューしたアイドルたちについても触れています。また、「2013年以降のダンスミュージックの進化」として、矢野利裕が近年のジャニーズミュージックの傾向を分析するコラムを書き下ろしました。
第2章は「ジャニーズとコンサート」です。ジャニーズにおいて「コンサート」とは何か? という、実はその外側にいる人間にはあまり理解されていないその実態を、さまざまなグループのコンサートDVDを参考に繙いてゆきます。第一版であまり取り上げることのできなかったKis-My-Ft2やHey! Say! JUMPについても語り下ろしで追記しました。コラムの追加は大谷能生による嵐の2010年代コンサートDVDの確認と、矢野によるNEWSのコンサートについてです。
第3章は「ジャニーズとディスコ」です。変わったお題ですが、ここで「ディスコ」は単に音楽の一ジャンルとしてではなく、ファッションも含めた、高度に産業化されたポップミュージックとそのカルチャーの総体として扱われています。ジャニ研が選ぶジャニーズディスコ5曲から始まり、ジャニーズの中に継続的に含まれている「ディスコ成分」が、ここではその理由とともに俎上に載せられます。近年ますます存在感を増している「山下達郎」の仕事についても、ここで大幅な追記をおこないました。新しいコラムは大谷による「2010年代のダンス」について。
第4章は「ジャニーズとタイアップビジネス」。歴代のジャニーズがどのように、それぞれの時代の「消費」の欲望を表象してきたかについて語られます。タイアップ話から派生して、2020年に開催予定(延期!)だった東京オリンピックにジャニーズがどのように関わってゆくのかについて、かなり長い議論を追加しています。新作コラムは速水健朗による「国家・官公庁プロジェクトとジャニーズ」。近年増加した国家的プロジェクトのキャンペーンへのジャニーズのかかわりについて書き下ろしています。
第5章は、「ジャニーズとミュージカル」。第一版から大幅に追加されたのは、2010年代のジャニーズ舞台の中核とも言うべき「JOHNNYS' World」シリーズの詳細分析です。ジャニーさん自身が主人公的に登場するこの作品の意味はいまだに完全には解明されていません。また、二〇一九年に公開された、ジャニーさん初の製作総指揮映画『少年たち』についても語り下ろしました。ジャニーさんにおける「和」の要素の分析から「John H.Kitagawa」が立ち現れるこの章の内容が、われわれジャニ研の独自性がもっとも強く表れている部分だと思います。
第6章は、第一版では、アイドルライターの南波一海氏をゲストに迎えて比較アイドル論をおこなったのですが、今回はそれに差し替えて、「ジャニーなき後の13月を生きる」と題して、ジャニーさんが逝去された後に起こったジャニーズ事務所の変化を確認しながら、これからのジャニーズについて完全にあらたな原稿を語り下ろしました。インターネットとジャニーズ、労働問題とジャニーズ、ジャニーイズムは継承できるか、などなど、「アイドルは時代を映す鏡である」ことが実感できる内容となっているはずです。

■われわれは何者か

申し遅れましたが、われわれ「ジャニ研」は、大谷能生、速水健朗、矢野利裕の三人で構成されています。われわれは、基本的にはジャニーズの熱狂的なファンであるということはありません。また、これまで専門としてきた領域も、ジャニーズからは若干外れたところにあります。
大谷能生は、1972年生まれ(中居正広、木村拓哉、山口達也、長野博と同い年)のジャズ音楽の演奏家であり批評家です。音楽家・作曲家という仕事は、ジャニーズの芸能ともちろん無関係ではありませんが、ジャズという領域とジャニーズとの間には少し距離があります。批評家としての大谷も、アイドルとは縁がありません。ただし、芸能における音楽の機能と構造の分析、および、アメリカの20世紀のポピュラー音楽、それにまつわるダンスやステージの歴史といった部分においては、専門と言っていい研究領域に入ります。
次に速水健朗は、1973年生まれ(稲垣吾郎と同い年)のライターであり編集者です。専門分野は広く拡散していますが、消費文化やアメリカ文化などは専門領域になります。著書に『タイアップの歌謡史』があり、広告と音楽の関わりについても専門領域となりますので、ジャニーズが関わったタイアップ、広告関係の仕事の分析などに重きを置いてジャニーズ研究に携わりました。
最後に矢野利裕は、1983年生まれ(二宮和也、松本潤、丸山隆平、上田竜也、中丸雄一らと同い年)の批評家・DJで、おもに文芸・音楽を中心とした評論活動をおこなっています。中等教育に携わる国語科教員でもあり、ジャニーズについては教育史の観点からも言及しています。ポピュラー文化史への関心から、とくに〝和モノ〟と呼ばれる歌謡曲のレコード収集・研究を長年続け、ジャニーズの音楽についても歴史的経緯を追ってきました。第一版の出版後、彼が単著として『SMAPは終わらない』という本を出したその直後に……というエピソードは本文でも取り上げております。

■ジャニーズの歴史に触れることなく「日本の戦後史」そのものについて、真に理解することはできない

SMAP世代と嵐世代、この二つのグループに分かれたわれわれが共有しているのは、ジャニーズの歴史に触れることなく、戦後の70年、日米両国のあいだに存在してきた文化の輸入や影響の関係性について、つまり、「日本の戦後史」そのものについて、真に理解することはできないのではないか、という想いです。SMAPが解散し、嵐が活動休止を宣言した現在、われわれもまた、自分たちがやってきた道すじを振り返り、これからの未来をあらためて選ぶ時期に来ているのではないかと考えます。ジャニーさんは2015年に、それまでの日米両国の二重国籍を持っていた状態から、あらためて日本を選んで国籍を取得したと述べています(第6章参照)。彼は、結果的に、晩年を「John H. Kitagawa」ではなく「喜多川擴」として生き、亡くなりました。これが彼にとってどのような意味を持っていたのかは、わかりません。しかし、例えばこの「二重国籍」に代表される、ジャニーさんが一生を懸けて引き受けて来た複雑な二重性こそが、ジャニーズアイドルの魅力の源泉のひとつであると、われわれジャニ研は理解しています。ジャニーさん亡き後の時代に向けて、『ジャニ研!』も再出発です。それでは、お楽しみください。

PROGRAM INFO | スタジオ観覧限定35名有観客配信
ENTRANCE ¥2000(ソーシャルディスタンシングを意識し、35人限定でスタジオ観覧者受け付けます。Peatixでスタジオ観覧チケット販売中!前半購入の方は+1000円の現場精算で後半も観覧可能です! ▶︎http://johnnysdommune.peatix.com
PLACE PLACE 〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町15-1 渋谷PARCO9F「SUPER DOMMUNE」
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